何と蘇州にもあると知り、訪ねてみたくなり、早速足を運びました。
高鉄で蘇州へ
蘇州から公共バス(游2、1、102、308、309、321、313など)で”三元駅”下車しました。
少し戻るとすぐに文廟があります。
蘇州には昨年4月に何度か遊びに行って以来・・・・!?
違う、その後イオンにも行ってました。((笑))
4月に目にした時と街が整備されていると感じた。
観光の街としてきれいに整備されていくのでしょう。
では、文廟へ
蘇州の文廟は1035年、蘇州の知事であった範仲俺氏によって建立されました。
大成門
欞星門
教育の中心として孔子を祀り、学業の神様として慕われています。
孔子の像
上海より立派に見えます。
同じ敷地内に碑刻博物館が1985年に開館されました。
明、清時代の石碑が1300以上、拓本は3000以上も収集されています。
思無邪
宋時代の司馬光により書かれました。
「思無邪」は論語より、「公生明」は旬子から取られ、この碑は元々蘇州の三元坊書院にあったものが移設されました。
日本語にすると「思いに邪ま無し、公正からは聡明が生まれる」となります。
この言葉は良く引用されており、島津斉彬公、徳川綱吉公、そして小泉首相が韓国を訪問した時にも引用されました。
正気歌
南宋の宰相、文天祥が残したこの博物館で最も古い碑石のひとつです。
彼が投獄ざれていた時に読まれた五言古詩で、深沈な感情と山河を駆巡る気壮とが心を打つ作品。(文天祥の詳細は後程記載します)
四大宋碑
蘇州文廟には四大宋碑と呼ばれる碑石があります。
文化革命時には「反動儒学」によって、孔子像やたくさんの石碑が壊されましたが、当時の謬志豪の機転で四大宋碑を蘇州博物館に移す事で破壊を免れました。その後1984年に石碑博物館へ移設されました。
「天文図」「地理図」「帝王紹運図」「平江図」です。
簡単に言えば、天・地・人・城の四図です。これらは1127年から1279年に作られており、国家一級重点保護文物に指定されています。尚、この天文図の拓本は、日本最古の栃木の足利学校にも展示されています。
天文図は1247年に作られた世界最古の石碑版天文図と言われており、天文学史上重要な地位を占めています。
星の図は北極が中心となっており、3個の同心円が描かれ1440個の星がこの図の上に表されています。
地理図は1247年に作られた宋時代の中国政治地図で中国内で最古の石刻地図となっており非常に高価な物で、海岸線・山川・湖などが描かれており、道や府、軍の位置なども記されている貴重な地図となっています。
帝王紹運図は1247年に作られた中国最古の帝王の家系図で、黄帝から宋の理帝まで195帝の家系が記載されています。
漢族の王朝の変遷、主要王族の分離や小国家・他民族の動向などが解る様になっており、中国の歴史を紐解くのにとても貴重な資料となっています。
平江図は1229年に作られた宋時代の蘇州城の平面図で、世界最古の石刻平面図となっています。何とこの石碑の拓本がマルコポーロの東方見聞録に載っています。
この地図は正確に実測されており、264本の道、61個の坊、9塔のお寺などが描かれています。又20本の川、359本の橋があり、蘇州城が「小橋流水」と呼ばれていた江南特色を表しています。
大成殿
大成殿の中央には孔子磨漆画像があり、高さ7.33mで中国最大の孔子図です。
殿内には、孔子祭りに使用する金・石・紗・竹・土・木・革・鍔の八音の祭祀が陳列されています。
壁には「論語」「中庸」「大学」「詩経」の有名な一文が石刻で張られています。
明倫堂には範仲彩の塑像が設置され左右に文官と武官の画が設置されています。
ここには、古代の科挙制度や蘇州の科挙の合格者の資料が展示され、宋時代に作られた「竹」と「鶴」の石碑も陳列されています。
文天祥石像
文天祥は1236年に江西省で生まれ、20歳で科挙の状元(首席)で合格した天才。
南宋の宰相として元と戦うも捉えられて最後は処刑されています。
獄中にあった時に何度も元から勧誘を受けたが頑として断り、「正気の歌(せいきのうた)」を詠んでいます。これは正気が存在する限り正義は不滅であると言う忠義の歌で後の幕末の志士の間では盛んに歌われた詩です。
拓本で学習できるスペースがありました。
是非、訪れてほしい文廟です。
=文廟、蘇州碑刻博物館=
住所:人民路45号
電話番号:0512-65197203
営業時間:8:00-16:30
休業日:
入場料:なし
2017-01-05 Wed