『カイディン帝廟』を後に次に向かった先は、『フエ王宮』
1802年から1945年までの143年間という長い年月、
ベトナム最後の王朝がおかれた、グエン朝王宮。
世界遺産に登録されています。
城壁に囲まれた、約3.6 平方キロメートルの広大な敷地内には、宮廷文化を今に伝える建築物が存在しています。
ベトナム戦争によりその大半が大破しましたが、修復が進み、往事の姿を見ることができます。
正門
高さは約17m、幅は約58mで、王宮の南に位置します。
コの字型の門に5つの入口があり、中央が皇帝と各国の大使、向かって右(右夾門)が文官、左(左夾門)が武官のための入口。そのさらに両端にある2つの入口(右闕門、左闕門)は兵士・馬・象が使用していました。男性だけがこの門からの出入りを許されており、皇后であっても他の門を使用しなければなりませんでした。
午門の2階は「五鳳凰樓」とよばれており、新年の挨拶と科挙の合格発表のときにに皇帝がすがたを表しました。1945年8月30日に最後の皇帝パオダイ帝が退位(王朝の終焉)を告げたのもこの門からでした。 (ネットより)
太和殿
皇帝の即位式などの朝儀がおこなわれた。女性は決して、皇后も立ち入ることができませんでした。内部には皇帝の玉座がおかれ、80本の柱には皇帝を象徴する龍の装飾が施され、建築はベトナムの伝統建築である2棟連棟形式(前殿と正殿を回廊で繋ぐ方式)で建てられています。 右廡・左廡
高級官吏の詰め所であった建築物。太和殿を背にして、向かって左が右廡、右が左廡。右廡は武官が左廡は文官がそれぞれ使用していた。現在は、左廡に王朝についての展示スペースとなり、右廡は皇帝の衣装をきて記念撮影ができる。
王朝の模型
広大さが一目瞭然
記念撮影エリア
延寿宮
延寿宮は1804年に建てられ、皇太后(皇帝の母親)の住居でした。
紫禁城は1804年に建設され、王宮内部の宮殿地域で皇帝の政務および生活区画として王宮内の他の施設と分け隔てて、 主要な建物が南北方向に一直線に並んでいた。
周囲約1Km、高さ約3mの周壁に囲まれている。
皇帝が政務を執とった勤政殿、皇帝の寝所であった乾成殿、後宮の中心となっていた坤泰宮と配列されていたが、1947年にフランス軍との交戦により失われ今はそれらを結んでいた回廊のみが残っている。
西洋と東洋がミックスされている。
戦争で失ったものが残念でならない。
結構端の方まで行き、見学しましたが、
広大で全て見ることはできませんでした。
炎天下の中、陽を遮るものがなく、見学される際には
充分お気を付けください。
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2018-05-27 Sun